愛について

お子さんたちのお話を聞いているとどうしても突き当たるのがこの”愛”についての問題です。
もう何年も前に散々思考しました。
最近、有名人にする寄る人のことについて気になり、もう一度思考してみました。

長いので、興味ある方だけどうぞお読みください。

ストルゲーを久しぶりに検索してみました。
すると、私の昨年書いた記事をシェアしている方の記事がヒットしました。
別の記事に関してもいつもそうなのですが、私の書いた記事をシェアしている人の記事が出てくるという不思議(笑)
ま、それは置いておいて
愛についてしばらく考察しています。
「愛」という言葉は宗教(キリスト教)から来た言葉です。
私がお子さんたちのお話を聞かせて頂くようになって、この言葉にぶつかりそのときにもいろいろと調べ考えました。
言語哲学を学んでいる人に聞いたことがあります。
その時強く感じた「愛」の一つにストルゲーがありました。
強いものに対するあこがれ
そのような事を聞いた覚えがあります。
最近、そのストルゲーについてよく考えます。
Wikipediaの説明だと家族愛となっていますが、強いものへの憧れ、有名な人にすり寄る人のことについて考察してみています。
ストルゲーは強いものへの憧れ、そして家族愛であるとすれば、有名人にすり寄りがちな人は家族、それも父性に対してのなんらかの問題解決ができていない人が多いような気もしますね。
そこからの脱却で、その人の本来の力を発揮できる気がします。
有名な人というのは、それだけやはり何かを持っていることには違いありません。
そして憧れることは自然なことだとは思いますが、そこで留まっていては自分を生きるというところにはいかないのではないでしょうか。
日本では「愛」という表現はしていませんでしたので、感覚的に人によって違うのでしょうね。
日本では、慈悲という言葉が該当するのだという人もいます。
愛しいという表現もしますね。
仏教では 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られることも面白いですね。

古代ギリシア・キリスト教での愛
キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の”愛”、いずれもギリシア語表現。)について説明していることが多い。それらは以下のとおり。
「ストルゲー(英語版)」 στοργή storgē
キリスト教では家族愛。(古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛、であった。)
「エロス」 έρως érōs
キリスト教では性愛。(古代ギリシアでは自己を充実させる愛、であった。)
「フィーリア」 φιλία philía
キリスト教では隣人愛。友愛。(古代ギリシアでは友人の友人に対する愛。
「アガペー」 αγάπη agápē
キリスト教では真の愛。(古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛、であった。)
ユダヤ教「ヘブライ語聖書」における愛
ヘブライ語聖書においては愛に相当する語として、ヘブライ語の「אהב」(エハヴ)(エハヴァ)(エハヴァー)が使われているが、日常でも用いられる。なお、ヘブライ語をカタカナで表すのは難しく、「א(声門破裂音アレフ)・ה(無声声門摩擦音へー)・ב(軟口蓋接近音ヴェート)」の発音が組み合わさると、「ה」と「ב」は「ハ」のヴァリエーションにも聞こえる。また、主の名と、アダムの妻の名と、愛、これら三つの言葉は、発音がよく似ている。
また、キリスト教の英語旧約聖書で「lovingkindness」「kindness」「kindly」「mercy」「in goodness」と訳される「慈悲」の意味の「חסד」(ヘセド)は、他に「favor」「Loyalty」「disgrace」などと訳されて「えこひいき」「忠誠心」「恥」の意味にも使われているが、「Loyalty(恥)」と訳された「חסד」(ヘセド)をヘブライ語聖書レビ記20章17節に見ると「慰み」の意味合いも含まれていることがわかる。神の愛はしばしば歴史記述を通して具体的に語られる。概要としては、愛を受けるに相応しくない者に、神の自由な一方的な選択によって愛が与えられ、その者が、たとい神から離れようとも、神は見捨てない、という内容である。
「מאהבת」は[、主の「愛」の意味。この綴りは、主が「愛した」という意味の「אהב」を核とする。
キリスト教では、新共同訳聖書申命記7章8節「ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。 」と翻訳されている。
「מאהבת」はまた、女の「愛」も意味する。
キリスト教では、新共同訳聖書サムエル記)下1章26節「あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 」と翻訳されている。
「אהבתך」は、親友の「愛」を意味する。
キリスト教では、新共同訳聖書サムエル記下1章26節「あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 」と翻訳されている。
「אהבת」は、息子に対するアブラハムの「愛」。
キリスト教では、新共同訳聖書創世記22章2節「神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 」と翻訳されている。
「ואהבת」は、主を「愛すべし」の意味。
キリスト教では、新共同訳聖書申命記6章5節「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 」と翻訳されている。
「ואהבת」はまた、隣人を主である私のように「愛すべし」という意味の聖句にも使われている。なお、主は、キリスト教申命記10章9節にも記されているとおり、レビ族の嗣業を意味する。
キリスト教では、新共同訳聖書レビ記19章18節「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。 」と翻訳されている。
「לאהבי」は、主から慈悲を与えられる「愛人」の意味。主の「לאהבי」(愛人)であることに対する見返りが、主の「חסד」(慈悲)である。
キリスト教では、新共同訳聖書出エジプト記20章6節並びに申命記5章10節「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 」と翻訳されている。
Wikipedia参照

また、Facebookに記事させて頂いたところ、内海氏の”愛”についての記事の紹介をしてくださった方がいらっしゃるので、そちらもご紹介させて頂きます。

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