善意の陰謀

おはようございます。自律サポートカウンセラーの甲斐です。

私が「発達障害はない」というと、なかなか腑に落ちない人が多いので、とてもよくわかる記事を思い出しましたのでご紹介しましょう。

ここを知らないと、分かりにくのかもしれないと改めて思いました。

医療殺戮などを読まれても分かるとは思いますが、読んでも理解できない人がいるということで、何故だろうかと考えてみました。

先ずは、人間の中にある優生思想に気づくこと

これが一番かなと思っていましたが、なかなか気づく人が少ないということもよくわかりました。

自分を正当化したいという防衛心理が働くので難しいのでしょうね。

それではどうすればいいのか?

先ずは、書物を読むことから始めてみてはどうでしょうか?

医学とは?

精神医学とは?

何を目的に作られたのかを知ること。それを知るためにもこれらの書物は理解しやすいと思います。
                     

      

      「発達障害ってなぁに?」はkindle版です。

 

内海氏のブログを手繰ってみました。2011年3月

このころ、私は、お子さんたちと話していた時期です。そして、適応障害だとか、人格障害だとかの診断名をつけられているお子さんが多いことを知り、精神薬を服用していることも知ったのです。

そのころから発達障害って何だろうかと調べ始めていました。

あまりにもおかしなことが多すぎると思ったからなのです。

内海医師はセカンドオピニオン活動をなさっていたのを辞められて、一人で活動を始められた時期です。

そのころの内海氏のブログをご紹介させて頂きます。

発達障害について、お分かりになることがあるかもしれませんね。
こちらもお読みになるとよく理解できるのではないでしょうか。よろしければお読みになってみてはいかがでしょうか?

 

精神科セカンドオピニオン2―発達障害への気づきが診断と治療を変える (精神科セカンドオピニオン)

暴走するクスリ?―抗うつ剤と善意の陰謀  

内海医師のブログから引用させて頂きます。

善意の陰謀

 

地震から三週間が過ぎました。まだまだ余震も続き原発も落ち着きませんが、茨城の生活自体は落ち着いてきています。物資やガソリンも問題はほぼなくなりました。
いろいろ考えてみると、この地震によってまた精神薬を飲む人が増え、被害者も増えるのだろうなとか、放射能問題も何十年レベルで続くので医療自体は儲かって、そうこうしているうちに医療費はますます増えて破綻するのかなとか、この先数十年関東と東北は放射能とむきあうしかないので、チェルノブイリの周囲国と同じことが起こるのかなとか、地震関連の政治家やマスコミや学者をみて老害ってこいつらにぴったりな言葉だなとか、もっといえば団塊世代とかそのうえを滅ぼすくらいの意気込みがないと、皆食い物にされるだけだなとか、自分の家族のありがたみが改めて良くわかったなとか、他にもいろんなことが浮かびました。

実はうちの娘と嫁さんは放射能、食料や水騒動などを考慮し実家に避難していました。震災後三週間のうちほとんど会ってはいなかったのですが、やはりさびしいものです。今週、まだいろんな問題はあるもののいったん二人は
家に戻ってきましたが、うれしくて会った時は年甲斐もなく泣けてしまいました。こういうときだからわかる事もあるでしょう。

日本人はおそらく世界一勤勉な民族だと思うのですが、それは裏を返せば家族よりも仕事が大事な人がどれだけ多いか、家族より自分が大事な人がどれだけ多いかということの証明かもしれません。この風潮を作ってきたのは間違いなく戦後世代、要するに60~70くらいの世代でありますが、かといって我々30世代が新しい風潮を作ってきたかといえばそうでもなく、下手すると団塊世代以上に常識や倫理さえなく、自己中心的になっているといえなくもありません。

この事は現代の心療内科的な問題と無関係ではないと思います。精神科となればもはや会話も成立しないほどのレベルかもしれませんが、ほとんどの患者さんはそんなレベルには達していません。その時何が原因かといえば、家族問題か、仕事問題がほとんどで、社会的な常識と自分の本能や願いとのジレンマに悩むことが多いです。本来こんな問題に医者が首を突っ込むこと自体おかしなことで、これらのすべてが薬で解決するはずないのに皆医者を受診する、結局洗脳されているということでしょう。

ある本に精神薬に対して「善意の陰謀」という面白い言葉が載っています。私は心療内科、精神科にかかわるものは皆これに当てはまると思っています。だからこの分野にかかわる善人にみえる人は誰一人信用していない。この分野は悪人の方がまだ行動倫理も明快で、だからこそお互い利用しあったり御しやすいともいえます。自分が善だと信じたり、ある人が善だとあがめたり、その善意から人を助けようとする人ほど、裏にみえにくい真意を持っています。そもそも政治なども多くの人が絡んで、そのシステムは性悪説を基準に考えようとこれまでも変化してきました(まだまだですが)。それに比し医療とやらは性善説がいつも基本として成立するようです。善を実行できる人が真の医者で、他は皆ヤブ医者になるわけですが、善を実行する人がなぜそれを実行するか、その裏まで読めている人は全く皆無です。逆にいうとその真意がばれないよう、洗脳者を増やすのがどこでも共通のやり方です。

その意味で私は悪人そのものです。でも悪であるからこそどこまでも自分の家族を守るためにあくどくなれます。ふざけた団塊世代の常識とも戦えます。患者さんに優しくもしないので、鬼だとかいわれます。私に善などを期待する人が大勢いるようですが、お門違いもいいところで、医者に善人などいないことを、私は内部の人間として痛いほど知っているのです。善を安売りする人間はその事によってもっとより深く、わかりにくい利益を上げようとしている、そのことをほとんどの人は永久にわからないままなので、一部大金持ちや既得権益階級に食い物とされているということでしょう。次回も「善意の陰謀」についてもう少し詳しく書いてみます。

続・善意の陰謀

 

善意の陰謀という言葉はイギリスで精神薬の薬害問題に取り組んだ、チャールズメダワーの造語である。彼の本には精神薬が開発されてきた経緯とか、権威ある会が善意をみせつけながら利益誘導するやり方をとらえて、こう皮肉っているが、見方を広げれば、精神科にかかわるすべての物事は善意の陰謀であるととらえられなくもない。 これまで私は多量精神薬処方医師たちを悪徳と呼び批判してきたが、最近はこんな医師たちなど序の口でしかないのではないか、と感じている。セカンドオピニオンの妄信性をみせつけられて発見したのは、精神科良識派と呼ばれる人たちの善意の陰謀が、いかにすさまじいものであるかということである。これは別に笠●一郎に限った事ではない。そもそも精神科診断が作られた経緯は、ある程度のレベルの人なら知っていることである。その診断体系に対して批判する精神科医は多く、私もそれには追従してきたが、その方向性そのものが間違いだったのではないかと、今痛感する思いである。精神科良識派とかいう人間の多くは、今のDSMやICDが間違いで、「自分の診断法が正しい」「自分の判断がより深く本質をとらえている」などという。違う視点のようにみせかけ、薬を減らすだけで大半がよくなるのは当たり前なのに、さもそれが「自分しかやっていない」ということを刷り込もうとする。なぜそういうか?それは自分がそうだったからである。セカンドオピニオンは役に立つ、人を助けている、正義である、周囲で誰もやらないから私がやらねば、という、自分が正義の極にでも立っているような気分を、関わっている人々は感じているのだ。だからこそ革命や医療テロリズムという言葉が出てくるが、こんなものは政治洗脳と何も大差ない。もともと精神疾患という概念がなぜ生まれたかとを考えれば、この議論は愚かそのものであり、それに追従してきた私は謝るよりないだろう。

結局何が言いたいかといえば、DSMが間違いで良識派の意見が正しいのではない、ということである。精神医学の診断体系、精神科として診断することのすべてが間違っているということである。そして精神薬が治療薬などいう立場として存在するから、問題が起こるのだということである。私はここに至るまで長い時間を要した。昔ネット掲示板で、すべてのものが個性と人格としてのみ扱われる日が来ないだろうかと質問し、そういう日が来るかもなんてあいまいな返事をしたかもしれないが、それで結構だったのである。

発達障害などという病気は存在などしない。確かにそのような行動形態は存在するかもしれないが、それは病気とは呼べない。頑固でない人間なんてホントにみた事あるか?と思う。これは所詮団塊世代と精神医学業界によって作り出された新たな虚構なのである。もし存在するなら、発達障害の親はすべて発達障害であるし、人類全体発達障害でないとおかしい。しかしそれを認めた人を意見した人の中にほとんど認めないのだ。勉強すればするだけ発達障害などというものは「人間そのもの」であり、それが生まれた経緯は善意の陰謀そのものであり、大人の発達障害などはその極みであろう。もっといえば発達障害だけでなく、すべての精神疾患がそうであり、まともな医師たちは陰謀の内容を知っているが、ほとんどの患者たちは気づいてもいない。精神分裂病が家族会の策謀によって統合失調症に変わった、それと同じくらいの策謀だと言えば、わかる人にはわかるだろう。そして被害者の大半は団塊世代の子供たちか、それより下のまだ未確定な子供たちなのである。

まったく年寄りたちは自分たちの世界を維持するために、都合いい概念を次から次へと生み出すものだと感心する。それにのせられた自分も毎回アホだったとしか思えない。「あなたの子供は統合失調症ではないよ」という言葉に、親としてどれだけ魅力を感じるか。善意の陰謀とはそれらを利用することから始まるのだ。そしてこれらは良識派医師の売名行為に使われるか、生涯支援の名のもとに金儲けの道具として使われるか、病名回避や親の責任回避のために使われるか、子供たちへの画一教育のために使われるか、逃避性の強い人間たちの逃げ口上のために使われるか、政治思想や患者会引き込みの概念的道具となるか、そのどれかである。

石〇〇彦、杉●登●●、●田●●治、石●朝●、笠●一●、その他。これら名のある発達障害を今でも広めようとする医師たちが、すべて団塊前後の世代であり、自分自身を発達障害になぞらえていて、かつ自分を信奉する患者会や家族会をもち、その数は多く今でも権力を増強し患者を引き込むことに余念なく、その会を増やしていこうと画策しているのをみると空恐ろしいとしか感じない。そしてかつて私もそのことがいいことだと感じていたことに、今ほど恐れを感じることはない。これらの医師たちはバカな多量処方型精神科医を利用することで、己の立場と言論力を高め、その精神科医たちを敵対者の中心に据えることで錯覚を利用しながら治療してきた。そしてその矛先が自分たちに向けられるとき、彼らはバカ精神科医たちが反論、意見排除するのと同様の行動しかとらない。それらすべては自分たちが正しいという、団塊世代の愚かな老害の思い込みでしかないのに。

東洋医学者である関係上、よく昔の話を持ち出すが、ほんの100年には精神疾患などという概念は存在しなかったのである。うつはうつであって「うつ病」ではない。強迫は執着や妄執という言葉で語られていたにすぎない。気分変調や躁うつ傾向など衝動型なタイプの人間なら、誰でも存在する。不安なんて普遍的に人間に存在して、そもそもこれを病気と扱うなんて馬鹿げている。薬なんて存在せずあったのはたばことアルコールだけであり、狂った人がいたとしてもそれはやはり狂った人でしかなく、薬中にされる心配もない。だいたいこんな主観的なものを医学で規定することなど、できるはずがないのだ。これらは別にCCHRや反精神連合などの専売特許でもなく、一般人が普通に感じることなのである。

まあこう威勢よくつぶやいてみても、両方を敵にまわしているのはあらためて自分だけだなと思って、アホなことをしていると思う。ホントにいつつぶされてもおかしくなかろう。その時はその時として次は「ではどうすればいいか」について、私見を述べてみようと思う。

 

 

 
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