アイヌのレコード

おはようございます。

自律サポートカウンセラーの甲斐です。

 

アイヌ文化、アイヌの言葉、語り 残してほしいと思います。

アイヌ民族を追いやってしまったことへの反省、人間とはどこまでも優生思想の塊なのであろうか?

このような歴史があることも私たちは知らなければならないと思います。どんなに悲しいことだったでしょうか。民族の誇りをつぶされ、名前まで変え、言語まで変え、生活習慣まで変えさせられ・・・

 

イランカラㇷ゚テ

アイヌ語の教育も始まっている。

 

北海道旧土人保護法

Wikipediaから転載

 
 

北海道旧土人保護法(ほっかいどうきゅうどじんほごほう、明治32年3月2日法律第27号)は、北海道アイヌを保護する目的で制定された日本法律である。

江戸時代より、江戸幕府は北海道を管轄する松前藩に対し、北海道アイヌの待遇改善を指示してきた。田沼意次の蝦夷地(北海道)開発を目的とした北方探索などで、松前藩の北海道アイヌに対する差別的待遇は明らかであったが、当時の各藩の独立性に加え、遠隔地であるために政府の影響力が弱かったため、改善には至らなかった。

明治維新後もこの状況が続いたため、明治32年(1899年)3月2日、北海道アイヌを一般の日本国民と平等にすることを目的とした北海道旧土人保護法が制定された。この保護法は1997年(平成9年)7月1日アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(1997年(平成9年)法律第52号、アイヌ文化振興法)の施行に伴い廃止された(附則2条)。同時に、旭川市旧土人保護地処分法(1934年(昭和9年)法律第9号)も廃止された。

この法律は貧困にあえぐ「北海道旧土人」(アイヌ)に対する保護を名目として作られたもので、土地[1]医薬品[2]埋葬[3]授業料の供与[4]、供与に要する費用にはアイヌの共有財産からの収益を用いること[5]、アイヌの共有財産は北海道庁長官が管理すること[6]、自由な土地売買や永小作権設定の禁止[7]などが定められていた。この法律は、「貧困にあえぐアイヌの保護」が目的であるが、悪用される例もあった。また、北海道アイヌは基本的に狩猟生活であり、土地を与えられても耕作に不慣れであったため、農業経営に失敗する例もあった。高野斗志美は地方と国家、政府と民間を混同し、これを「アイヌの財産を収奪[8]し、文化帝国主義同化政策を推進するための法的根拠として活用された」と主張した。具体的には、

  1. アイヌの土地の没収
  2. 収入源である漁業・狩猟の禁止
  3. アイヌ固有の習慣風習の禁止
  4. 日本語使用の義務
  5. 日本風氏名への改名による戸籍への編入

等々が実行に移された[9]。 特に後半は、アイヌが日本国民として平等に義務教育を受けることのできる権利、教育を理解するための日本語(正確には明治に作成された標準語)教育、および日本国民と同じ戸籍を有することでアイヌの社会的地位を保証するためのものであった。[要出典]

 

しかし、土地を没収し、漁業や狩猟を禁止し、生活習慣も禁止、日本語使用の義務、名前まで変えることが、どうして保護になるというのだろうか?

以下は、https://ja.wikisource.org/wiki/ より

 

御名御璽

明治三十二年三月一日

內閣總理大臣侯爵山縣有朋

內 務 大 臣侯爵西鄕從道

法律第二十七號(官報 三月二日)

北海道舊土人保護法

第一條 北海道舊土人ニシテ農業ニ從事スル者又ハ從事セムト欲スル者ニハ一戶ニ付土地一萬五千坪以內ヲ限リ無償下付スルコトヲ得

第二條 前條ニ依リ下付シタル土地ノ所有權ハ左ノ制限ニ從フヘキモノトス

相續ニ依ルノ外讓渡スコトヲ得ス
質權抵當地上權又ハ永小作權ヲ設定スルコトヲ得ス
北海道廳長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ地役權ヲ設定スルコトヲ得ス
留置權先取特權ノ目的トナルコトナシ

前條ニ依リ下付シタル土地ハ下付ノ年ヨリ起算シテ三十箇年ノ後ニ非サレハ地租及地方稅ヲ課セス又登錄稅ヲ徵收セス

舊土人ニ於テ從前ヨリ所有シタル土地ハ北海道廳長官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ相續ニ因ルノ外之ヲ讓渡シ又ハ第一項第二第三ニ揭ケタル物權ヲ設定スルコトヲ得ス

第三條 第一條ニ依リ下付シタル土地ニシテ其ノ下付ノ年ヨリ起算シ十五箇年ヲ經ルモ尚開墾セサル部分ハ之ヲ沒收ス

第四條 北海道舊土人ニシテ貧困ナル者ニハ農具及種子ヲ給スルコトヲ得

第五條 北海道舊土人ニシテ疾病ニ罹リ自費治療スルコト能ハサル者ニハ藥價ヲ給スルコトヲ得

第六條 北海道舊土人ニシテ疾病、不具、老衰又ハ幼少ノ爲自活スルコト能ハサル者ハ從來ノ成規ニ依リ救助スルノ外仍之ヲ救助シ救助中死亡シタルトキハ埋葬料ヲ給スルコトヲ得

第七條 北海道舊土人ノ貧困ナル者ノ子弟ニシテ就學スル者ニハ授業料ヲ給スルコトヲ得

第八條 第四條乃至第七條ニ要スル費用ハ北海道舊土人共有財產ノ收益ヲ以テ之ニ充ツ若シ不足アルトキハ國庫ヨリ之ヲ支出ス

第九條 北海道舊土人ノ部落ヲ爲シタル場所ニハ國庫ノ費用ヲ以テ小學校ヲ設クルコトヲ得

第十條 北海道廳長官ハ北海道舊土人共有財產ヲ管理スルコトヲ得

北海道廳長官ハ內務大臣ノ認可ヲ經テ共有者ノ利益ノ爲ニ共有財產ノ處分ヲ爲シ又必要ト認ムルトキハ其ノ分割ヲ拒ムコトヲ得

北海道廳長官ノ管理スル共有財產ハ北海道廳長官之ヲ指定ス

第十一條 北海道廳長官ハ北海道舊土人保護ニ關シテ警察令ヲ發シ之ニ二圓以上二十五圓以下ノ罰金若ハ十一日以上二十五日以下ノ禁錮ノ罰則ヲ附スルコトヲ得

附則

第十二條 此ノ法律ハ明治三十二年四月一日ヨリ施行ス

第十三條 此ノ法律ノ施行ニ關スル細則ハ內務大臣之ヲ定ム

常用漢字・現代仮名遣いによるひらがな

朕帝国議会の協賛を経たる北海道旧土人保護法を裁可し茲(これ)に之(これ)を公布せしむ

御名御璽

明治三十二年三月一日

内閣総理大臣侯爵山縣有朋

内 務 大 臣侯爵西郷従道

法律第二十七号(官報 三月二日)

北海道旧土人保護法

第一条 北海道旧土人にして農業に従事する者又は従事せんと欲する者には一戸に付土地一万五千坪以内を限り無償下付することを得

第二条 前條に依り下付したる土地の所有権は左の制限に従うべきものとす

相続に依るの外譲渡すことを得ず
質権抵当地上権又は永小作権を設定することを得ず
北海道庁長官の許可を得るに非ざれば地役権を設定することを得ず
留置権先取特権の目的となることなし

前条に依り下付したる土地は下付の年より起算して三十箇年の後に非ざれば地租及地方税を課せず又登録税を徴収せず

旧土人に於て従前より所有したる土地は北海道庁長官の許可を得るに非ざれば相続に因るの外之を譲渡し又は第一項第二第三に掲げたる物権を設定することを得ず

第三条 第一条に依り下付したる土地にして其の下付の年より起算し十五箇年を経るも尚開墾せざる部分は之を没収す

第四条 北海道旧土人にして貧困なる者には農具及種子を給することを得

第五条 北海道旧土人にして疾病に罹(かか)り自費治療すること能わざる者には薬価を給することを得

第六条 北海道旧土人にして疾病、不具、老衰又は幼少の為自活すること能わざる者は従来の成規に依り救助するの外仍之を救助し救助中死亡したるときは埋葬料を給することを得

第七条 北海道旧土人の貧困なる者の子弟にして就学する者には授業料を給することを得

第八条 第四条乃至第七条に要する費用は北海道旧土人共有財産の収益を以て之に充つ若(も)し不足あるときは国庫より之を支出す

第九条 北海道旧土人の部落を為したる場所には国庫の費用を以て小学校を設くることを得

第十条 北海道庁長官は北海道旧土人共有財産を管理することを得

北海道庁長官は内務大臣の認可を経て共有者の利益の為に共有財産の処分を為し又必要を認むるときは其の分割を拒むことを得

北海道庁長官の管理する共有財産は北海道庁長官之を指定す

第十一条 北海道庁長官は北海道旧土人保護に関して警察令を発し之に二円以上二十五円以下の罰金若は十一日以上二十五日以下の禁錮の罰則を附することを得

附則

第十二条 此の法律は明治三十二年四月一日より施行す

第十三条 此の法律の施行に関する細則は内務大臣之を定む

 

旧土人保護法廃止

  

    アイヌ文化振興法施行、旧土人法廃止

1997年7月1日、「アイヌ文化振興法」(アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律)が施行され、同時に北海道旧土人保護法、旭川市旧土人保護地処分法が廃止となった。新法施行に先だつ6月27日には、同法の趣旨にそって、アイヌ文化の振興や民族の誇りが尊重される社会の実現にむけた事業をおこなう財団法人「アイヌ文化振興・研究推進機構」(本部・札幌市)が発足。7月1日から業務を開始した。   北海道旧土人保護法制定からほぼ1世紀。日本人以外の少数民族の存在がはじめて法的に位置づけられた。

新法の柱は文化事業推進

1899年(明治32)に制定、公布された「旧土人保護法」は、すでに主食のサケをとることなどを禁じられていたアイヌに農業を奨励し、それまでの伝統的な狩猟・採取生活から一変した農耕生活を強要、日本人との「同化」をおしすすめる役割をはたしてきた。旧土人法の廃止、新法の制定は、アイヌの最大組織「北海道ウタリ協会」が1984年5月の総会でその原案(「アイヌ民族に関する法律(案)」)をきめて以来の悲願であった。

北海道ウタリ協会がまとめた新法原案は、前文で「日本国に固有の文化をもったアイヌ民族が存在することをみとめ、日本国憲法のもとに民族の誇りが尊重され、民族の権利が保障されることを目的とする」とうたい、つづく制定の理由の中で「アイヌ民族問題は、日本の近代国家への成立過程にひきおこされた恥ずべき歴史的所産」と日本政府の責任をきびしく指摘している。

その上で、(1)基本的人権(2)参政権(3)教育、文化(4)農業、漁業、林業、商工業等(5)民族自立化基金(6)審議機関の6項目をあげ、この法律がアイヌに対する差別の絶滅を基本理念にし、国会や地方議会での議席の確保、アイヌ文化の振興、経済自立の促進などをめざす、としている。

しかし、7月1日施行の新法にとりいれられたのは6項目のうちの「教育、文化」だけだった。法の中身は文化政策にほぼ限定された「文化事業推進法」という性格が強く、アイヌが「先住民」であるかどうかについてもふれていない。

根強い国の警戒感

日本の統治がおよぶ前からアイヌは居住していたという先住性については、1997年3月、二風谷(にぶたに)ダム訴訟で札幌地方裁判所が「アイヌ民族は先住民族」と明確に認定し、国が民族独自の文化を不当に無視してきたと批判した。

二風谷ダム訴訟は、北海道平取町の二風谷ダム建設をめぐり、アイヌ地権者2人が北海道収容委員会を相手に土地強制収容などの裁決取り消しをもとめた行政訴訟。判決は、「アイヌ民族は先住民族に該当する」とし、ダム建設地がアイヌの伝統的な舟下ろしの儀式「チプサンケ」がおこなわれるなどしていた「アイヌ民族の神聖な土地」であるとみとめた。その後のアイヌ新法をめぐる国会審議の中で、政府はアイヌの先住性をみとめる姿勢を明らかにし、「アイヌ文化振興法」は、1997年5月8日成立した。

しかし政府には、民族自決権や土地、資源などの権利とも密接にからむ「先住権」認定への警戒感が根強く、衆参両議院も内閣委員会で「先住性は歴史的事実」とする付帯決議を可決するにとどまった。アイヌがもとめてきた先住民族としての権利の保障は先送りにされたかたちだ。

問われる新法の意義

一方、北海道開発庁と文部省が所管する「財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構」は、北海道と道内62の市町村が出資した1億円を基金に運営される。初代の理事長には前国立民族学博物館館長の佐々木高明が就任した。財団は研究者やアイヌ語の指導者育成、小中学生向け副読本の作成などを手がけながら文化振興を具体的にすすめ、「イオル(伝統的生活空間)の再生」の事業もすすめる計画だ。

アイヌ初の国会議員となった萱野茂・参議院議員は、アイヌ文化振興法成立にあたり、「アイヌと和人の歴史的和解の第一歩」と話した。「民族の誇りが尊重される社会の実現をはかる」とうたった新法に対する期待をしめすものだが、その一方で日本人がアイヌに対しておこなってきた差別と同化政策への歴史認識はあいまいなままのこされた。

北海道が1994年におこなった調査によると、北海道には2万3800人のアイヌがすみ、前回調査時の7年前にくらべて高校、大学の進学率は向上したが、1世帯当たりの平均収入は約300万円で5人のうち4人は生活苦をうったえている、という結果だった。ウタリ協会が新法制定をもとめたのは、ひとつには、こうしたアイヌの生活や差別にくるしむ現状の打開をめざすためだった。97年7月1日に施行されたアイヌ文化振興法は、これからその意義が問われていくことになる。

エンカルタ 百科事典 イヤーブック 1997年7月号より