日本の医療の歴史 南北朝時代・室町時代

おはようございます。自律サポートカウンセラーの甲斐です。

鎌倉幕府が倒れたあと、1336年には後醍醐天皇は吉野に移り、以後、吉野と京都にそれぞれ天皇がいることになった。 足利尊氏により開かれた室町幕府は、第3代将軍、足利義満(13581408)の代になってようやく安定したものとなりました。南北朝が統一され京都の北小路室町に「花の御所」と呼ばれる優雅な御殿が造られました。以後、応仁の乱(1467)が勃発して戦国時代になるまでの約100年間を室町時代と呼びます。

鎌倉幕府を倒した足利尊氏は1338年に征夷大将軍となり、京都の室町に幕府を開いた。戦乱の世を反映して、医療の世界では、今日の外科医に相当する医者が現れ、その他にも産科、小児科、眼科も出現した。 さらに特徴的なことは、民間人から医学を学ぶため大陸の明に留学して明医学を修得した人たちが一派を形成するようになりました。当時の明医学は李東垣(11801228)や朱丹渓(12811365)といった人たちが古代からの中国医学を踏襲しつつ新しい考え方のもとに医術を展開し、「李朱医学」などと呼ばれています。武藏国で代々医業を為していた家に生まれた田代三喜(14651544)は明に12年間にわたり留学し、この李朱医学を学んできました。その直弟子の曲直瀬道三(15071594)は京都で医師として名をあげ医学教育者として李朱医学を全国に普及させたのでした。田代三喜の学んできた李朱医学は日本の医学において主流を占めるようになったのです。これはのちに「後世派」と呼ばれるようになり、この考え方は後に江戸時代中期になって台頭してきた「古方派」とともに現代漢方の中に脈々と受け継がれているということです。

 鎌倉後期、南北朝時代、さらに次の世代の戦国時代と、戦乱の続く中で、武士たちに近づいた時宗の僧が、戦場で戦死した者を弔ううちに、戦傷者の手当てもおこなうようになり医術を心得る物が出現してきたと考えられます。また時宗は寺を設けず、放浪しながら布教することを宗旨としていたために、放浪生活を余儀なくされた人たちがその群に加わり、皆、時宗に帰依したともいわれています。

 時宗の僧で、室町将軍の侍医になった人物に、昌阿弥がいます。昌阿弥に対する二代将軍足利義詮の信任は厚く、義詮が死の床にあっても、昌阿弥以外の者の診察は拒んだままで亡くなったといいます。また称光天皇の病気治療にあたったという寿阿弥の名前が伏見宮貞成王の日記「看聞御記」にしばしば登場します。

 さらに時宗の僧のなかから金創医が現れてきたともいわれます。金創医とは刀剣などの金属製武器による切傷を手当てする外科医のことでその多くが室町、戦国時代以降に現れてきたものです。

 

 

 

 

 

 

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