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人の力を借りる

お子様が世の中に出たとき、嫌なことがあったら、逃げてしまって、社会的な適応ができないのではないかとお悩みの方も多いと思います。

学校や、周りの人たちに対して、次のように感じている方はいらっしゃいませんか?

学校がお子さんを守ってくれない!
わかってもらえない!
いくら言っても、話が通じない。

確かに、そうですね、誰も守ってくれない。
世の中に出たら、もっと、守ってもらえることは少ないですよね。

では、どうすればいいのでしょうね。

通信制高校に通っても、人との関係がうまくいかなければ、社会で生きていけないとお感じの親御さんも多いことでしょう。

それが、一番の問題だと、気が付かれている方も多いことでしょう。

さて、あなたなら、どうしますか?

学校がお子さんを守ってくれない!

理解してくれない!

などと思っている方、いかがでしょうか?

私は、あなたなら、どうしますか? と問いかけさせて頂きました。

世の中に出ると、守ってもらえない。

親がずっとついているわけにもいかない。

どうしたらいいんだろう?

そういう風に悩んでいる方は、続けてお読みくださいね。

私なら、学校の先生を味方にできるような行動をとると思います。

いろいろと、腹の立つこともあると思いますが、先生を「敵」とみないで、味方につけてしまうのですね。

それくらい、親しくなると意見を言っても、聞いてもらえるようになりますよ。

敵意を持って接すると、敵意を持った答えが戻ってきます。

不信感を持って接すると、不信感を持った答えが返ってきます。

では、どのようにすれば、味方につけることができるのでしょうか?

お子さんと信頼関係を育むことをお話しさせて頂いておりますから、大丈夫ですよね?

先ずは、先生を認めます。

相手のおっしゃることを聴きます。

否定はしないことです。

自分が正しいと思っても、否定はしないでくださいね。

先生との信頼関係をまずは作るといいですね。

ブログでは、たびたび書いていますが、子供の時に身につけたほうがいいと思うスキルが12あります。

覚えていらっしゃいますか?

第一番目に、「助けを求める」 を挙げています。誰かの力を借りることですね。

人に助けを求めるためには、相手との信頼関係ができていないと難しいですね。

保護者であるあなたは、できているでしょうか?

まずは、あなたがやってみてくださいね。

お子さんは、あなたの姿をよく見ています。

親の背中を見て育つのですね。

これは、学校の先生だけではありませんね。

旦那さん、お舅さん、姑さん、お子さん、ご近所さん お友達、会社の人たち 関わりある方々に、信頼関係を持てているといいですよね。

もし、保護者のあなたができていないと思われたら、まずはご自分からやってみてくださいね。

これは、子供の時に身に着けておきたいスキルの一つなのです。

こんなお悩みの方もご相談ください。
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愛について

お子さんたちのお話を聞いているとどうしても突き当たるのがこの”愛”についての問題です。
もう何年も前に散々思考しました。
最近、有名人にする寄る人のことについて気になり、もう一度思考してみました。

長いので、興味ある方だけどうぞお読みください。

ストルゲーを久しぶりに検索してみました。
すると、私の昨年書いた記事をシェアしている方の記事がヒットしました。
別の記事に関してもいつもそうなのですが、私の書いた記事をシェアしている人の記事が出てくるという不思議(笑)
ま、それは置いておいて
愛についてしばらく考察しています。
「愛」という言葉は宗教(キリスト教)から来た言葉です。
私がお子さんたちのお話を聞かせて頂くようになって、この言葉にぶつかりそのときにもいろいろと調べ考えました。
言語哲学を学んでいる人に聞いたことがあります。
その時強く感じた「愛」の一つにストルゲーがありました。
強いものに対するあこがれ
そのような事を聞いた覚えがあります。
最近、そのストルゲーについてよく考えます。
Wikipediaの説明だと家族愛となっていますが、強いものへの憧れ、有名な人にすり寄る人のことについて考察してみています。
ストルゲーは強いものへの憧れ、そして家族愛であるとすれば、有名人にすり寄りがちな人は家族、それも父性に対してのなんらかの問題解決ができていない人が多いような気もしますね。
そこからの脱却で、その人の本来の力を発揮できる気がします。
有名な人というのは、それだけやはり何かを持っていることには違いありません。
そして憧れることは自然なことだとは思いますが、そこで留まっていては自分を生きるというところにはいかないのではないでしょうか。
日本では「愛」という表現はしていませんでしたので、感覚的に人によって違うのでしょうね。
日本では、慈悲という言葉が該当するのだという人もいます。
愛しいという表現もしますね。
仏教では 渇愛、愛着(あいじゃく)、愛欲。「十二因縁」の説明では第八支に位置づけられ、迷いの根源として否定的に見られることも面白いですね。

古代ギリシア・キリスト教での愛
キリスト教において最大のテーマとなっている愛と言えば、まずなによりもアガペーである。 そのアガペーとはいかなるものなのか、その特質を説明するにあたって、キリスト教関連の書物や西欧文化圏の書物では、あえて4種類の感情(すでに古代ギリシア時代から考えられていた4種類の”愛”、いずれもギリシア語表現。)について説明していることが多い。それらは以下のとおり。
「ストルゲー(英語版)」 στοργή storgē
キリスト教では家族愛。(古代ギリシアでは風、火、水、土を結合させる愛、であった。)
「エロス」 έρως érōs
キリスト教では性愛。(古代ギリシアでは自己を充実させる愛、であった。)
「フィーリア」 φιλία philía
キリスト教では隣人愛。友愛。(古代ギリシアでは友人の友人に対する愛。
「アガペー」 αγάπη agápē
キリスト教では真の愛。(古代ギリシアではあるものを他よりも優遇する愛、であった。)
ユダヤ教「ヘブライ語聖書」における愛
ヘブライ語聖書においては愛に相当する語として、ヘブライ語の「אהב」(エハヴ)(エハヴァ)(エハヴァー)が使われているが、日常でも用いられる。なお、ヘブライ語をカタカナで表すのは難しく、「א(声門破裂音アレフ)・ה(無声声門摩擦音へー)・ב(軟口蓋接近音ヴェート)」の発音が組み合わさると、「ה」と「ב」は「ハ」のヴァリエーションにも聞こえる。また、主の名と、アダムの妻の名と、愛、これら三つの言葉は、発音がよく似ている。
また、キリスト教の英語旧約聖書で「lovingkindness」「kindness」「kindly」「mercy」「in goodness」と訳される「慈悲」の意味の「חסד」(ヘセド)は、他に「favor」「Loyalty」「disgrace」などと訳されて「えこひいき」「忠誠心」「恥」の意味にも使われているが、「Loyalty(恥)」と訳された「חסד」(ヘセド)をヘブライ語聖書レビ記20章17節に見ると「慰み」の意味合いも含まれていることがわかる。神の愛はしばしば歴史記述を通して具体的に語られる。概要としては、愛を受けるに相応しくない者に、神の自由な一方的な選択によって愛が与えられ、その者が、たとい神から離れようとも、神は見捨てない、という内容である。
「מאהבת」は[、主の「愛」の意味。この綴りは、主が「愛した」という意味の「אהב」を核とする。
キリスト教では、新共同訳聖書申命記7章8節「ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。 」と翻訳されている。
「מאהבת」はまた、女の「愛」も意味する。
キリスト教では、新共同訳聖書サムエル記)下1章26節「あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 」と翻訳されている。
「אהבתך」は、親友の「愛」を意味する。
キリスト教では、新共同訳聖書サムエル記下1章26節「あなたを思ってわたしは悲しむ/兄弟ヨナタンよ、まことの喜び/女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。 」と翻訳されている。
「אהבת」は、息子に対するアブラハムの「愛」。
キリスト教では、新共同訳聖書創世記22章2節「神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」 」と翻訳されている。
「ואהבת」は、主を「愛すべし」の意味。
キリスト教では、新共同訳聖書申命記6章5節「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。 」と翻訳されている。
「ואהבת」はまた、隣人を主である私のように「愛すべし」という意味の聖句にも使われている。なお、主は、キリスト教申命記10章9節にも記されているとおり、レビ族の嗣業を意味する。
キリスト教では、新共同訳聖書レビ記19章18節「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。わたしは主である。 」と翻訳されている。
「לאהבי」は、主から慈悲を与えられる「愛人」の意味。主の「לאהבי」(愛人)であることに対する見返りが、主の「חסד」(慈悲)である。
キリスト教では、新共同訳聖書出エジプト記20章6節並びに申命記5章10節「わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。 」と翻訳されている。
Wikipedia参照

また、Facebookに記事させて頂いたところ、内海氏の”愛”についての記事の紹介をしてくださった方がいらっしゃるので、そちらもご紹介させて頂きます。

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発達障害とは?

発達障害とは?

発達障害については、これまでも記事にさせて頂いておりますが、医師の立場からの内海氏の見解をご紹介させて頂きます。
私はこれまで多くのお子さんのお話を聞かせて頂いてまいりました。
そして、社会とうまくいかなくて悩んでいるお子さん、学校に行くことができなくなってしまったお子さん、発達障害との診断をされて投薬されているお子さん、そして、その保護者の方々ともお話をさせて頂いてきました。
そして強く思う事は、”枠の中に閉じ込めようとしている優生思想”がそこにあることを感じています。
人と違う感覚を持つとおかしいのでしょうか?
興味あることに熱中することがおかしなことなのでしょうか?
一つのものを見て、同じことを感じることのほうがおかしいと私は強く思います。
そして、発達障害と呼ばれることの原因が必ずあるということ。
突然癇癪を起すのは何故なのか?
それにも原因があるということです。決して先天性の脳の障害ではないということ。
発達障害があるといわれているお子さんの中に、アレルギー反応や、化学物質過敏症の症状を持つお子さんの多いことにも気がつきました。
何らかのこうした症状があれば当然の思考や感じ方、行動が現れます。
体に不調があれば、集中できないことは皆さんも経験なさっていませんか?
その原因を突き止め、症状をなくすと、その発達障害だといわれている症状も消えることもあります。
その個性の部分と、何らかの外因を混同してはいないでしょうか?

以下は内海氏の見解を転載させて頂きます。じっくりとお読みください。
発達障害と扱われる状態とは一体何なのか?
そもそも発達障害やや自閉症や知的障害といわれるような状態を、社会が許容できないことこそがおかしいわけなのだが、それもまた現代洗脳の一つであろう。私はこの話について例に出す時、日本人がよく知っている近年の映画「always 三丁目の夕日」を口にする。あの映画に出てくる多くの登場人物たちは、大人であれ子どもであれ、みな発達障害と診断できるような個性的で偏りのある人々である。その世界の中では口げんかどころか殴り合いさえも日常的に描かれる。
これは暴力を奨励しているわけでは決してないが、そのような人間こそが、人間として生物として普通の姿なのである。ずっと同じことしたきゃすればいい、多動でどっか行きたいなら行けばいい、その根幹の感覚が全ての現代人たちにない。だから精神薬や発達障害という診断名を、精神科医だけでなく親たちや周囲の人間たちこそがつけたがるのだ。しかし人々は現代で発達障害と扱われている人々が、一体何が原因でそうなっているか、真の意味で深く追求できているだろうか?
現代において、発達障害と呼ばれるものの本質的な原因について考えていこう。おおよそ思いつくだけで以下のようなことが挙げられるだろう。
① ワクチン後遺症
② 慢性栄養素欠乏
③ 砂糖中毒
④ 食品添加物暴露
⑤ 農薬慢性暴露
⑥ 教育やしつけの問題
⑦ 家庭内不和の影響
⑧ 教員や周囲による強制的診断
⑨ 電磁波や放射線の慢性暴露
⑩ いじめ、虐待などの影響
⑪ 遺伝的問題
⑫ 産婦人科的問題に付随した高次脳機能障害
などなど、他にあるかもしれないが、ちょっと思いつくだけでもこれくらいはあるのだ。これらの大半は三つの輪について勉強し、親が自覚さえすれば改善可能なのである。これらに医学などの介入が必要でないことはいうまでもあるまい。まさに医学不要論の象徴であるのが精神医学であり、発達障害であるということができよう。
少なくとも西洋医学、精神医学、心理学によってもたらされる発達障害へのアプローチは、全て子どもを殺して才能を奪い取るために存在するのだ。児童精神科医という存在は子どもを殺すことが主たる目的である。その手下として暗躍するのが心理カウンセラーである。その目的達成のためには彼らはきれいごとを話すことを一切厭わず、科学を捏造することも一切厭わない。児童精神科医に相談しているという段階で、全ての親は自分の子どもを殺したくて、虐待したくてうずうずしてると自覚できない。

では、親は何をすればいいのだろうか?

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