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優生思想は誰でもが持っている

おはようございます。自律サポートカウンセラーの甲斐です。

精神医学や心理学は優生思想がもとになっている学問だということは再三話してまいりました。

しかし、人間というものはこの優生思想が誰にでもあるのです。このことを忘れてはなりません。

優生思想があるから、切磋琢磨したり、頑張ったり、成長すると言えるのではないかと思います。もちろん、これが強すぎると、人を見下したり、コントロールしたり支配するようになるので、気をつけろよという教えだと思うのです。

母が子どものころよく言っていた言葉を思い出します。

「実るほど首を垂れる稲穂かな」

それでは 慢について考えてみましょう。

 

 慢 まん
他人と比べて、自分を誇ったり過剰評価して、思い上がる心を慢といいます。家柄、財産、地位、知識、能力、容姿など、比べることの出来る事柄では、何にでも起こりえる煩悩のひとつです。

 

煩悩とはいったいなんでしょうか?

煩悩

仏教における教義の一つとされています。

原語は、サンクリット語のクレーシャで、心の汚れという意味があり、仏教では煩悩が人の苦しみの元とされています。

煩悩の根源は三毒(貪欲・瞋恚・愚痴)と言われ、貪欲とは必要以上に求めること、瞋恚とは怒りの感情、愚痴は物事の本質や真理に対する無知という意味があります。

煩悩のない世界を涅槃(ねはん)と呼びますが、修行僧はそこに辿り着くために日々つらい修業に耐えています。

しかしその一方で、煩悩は必ずしも苦しみだけを生み出すものではない、という考え方もあります。

これは宗派によって違いますが、欲や怒りは生きていく上のエネルギーになると捉えるものです。

例えば「家族を養うためにお金を稼ぎたい」「いつまでも健康でいたい」と願うことは悪いことではない、ということです。

私は、欲や怒りは生きていく上でのエネルギーになると考えています。

悔しいと思う気持ち!欲しい!という気持ちは生きるためのエネルギーになるという考え方です。

陰陽を学ぶと、このことがよく理解できます。

怒ることが悪いこと

欲があることは悪いこと

だけではありませんよね。 陰極まって陽となす。

まさしく、この世の中は両方があって成り立っていると強く思います。newimage-546x546-2

苦がないところには楽はありませんし、苦を乗り越えたところには大きな喜びがあります。
心の状態で、七つに分けたものを七慢といいます。八慢、九慢、という分類もあります。我慢はその中のひとつです。
 七慢 しちまん
1.慢まん  自分より劣っている人に対しては自分が勝っている、とうぬぼれ、同等の人には、自分と等しいと心を高ぶらせる。

2.過慢かまん  自分と同等の人に対して自分が勝っているとし、自分以上の人は自分と同等とする。
 

3.慢過慢まんかまん  勝っている人を見て、自分はさらに勝っている、とうぬぼれる。
 

4.我慢がまん  自負心が強く、自分本位。
 

5.増上慢ぞうじょうまん  悟っていないのに悟ったと思い、得ていないのに得たと思い、おごり高ぶる。
 

6.卑慢ひまん  非常に勝れている人を見て、自分は少し劣っている、と思う。
 

7.邪慢じゃまん  間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張り、徳が無いのに有ると思う。
 
 

以上は、阿毘達磨品類足論あびだつまほんるいそくろんと言うお経の第一巻の辯五事品から。お経により七慢には色々な呼び方があり、順番も異なります。
 

 八慢 はちまん
  慢・大慢・慢慢・我慢・増上慢・不如慢・邪慢・倣慢
 

 九慢 くまん
九慢は少し表現が異なります。色分けしたように、七慢の慢・過慢・卑慢の三種類からの展開です。我慢がいろいろ並びます。
 
 

我勝慢 がしょうまん
我等慢 がとうまん
我劣慢 がれつまん
有勝我慢 うしょうがまん
有等我慢 うとうがまん 
有劣我慢 うれつがまん
無勝我慢 むしょうがまん
無等我慢 むとうがまん
無劣我慢 むれつがまん
 
我慢がたくさん出てきましたね。

我慢とはどういうことを言うのかを見てみましょう。 

 我慢 がまん
我慢は一般的に、自分を押さえて耐える、という意味で使われますが、本来は自分を偉いと思い、他人を軽んじることです。
仏教では、自分に執着することから、自分を高く見て他人を軽視する心が生まれる、と考えます。
 
「慢」 については 
http://tobifudo.jp/newmon/etc/gaman.html 参照させて頂きました。

 

 

 

 

 

こんなお悩みの方もご相談ください。
カウンセリングさせて頂いております。

月1度ですが、TOKYO DDC でのカウンセリングをお受けさせていただくことになりました。

初回は2月14日の火曜日になります。興味のある方は診療日にTokyo DD Clinic(03-60-240-1316)にお電話ください。

http://tokyo-dd-clinic.com/

 

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カウンセリングの起源

おはようございます。自律サポートカウンセラーの甲斐です。

今朝は、私のカウンセリングの考え方の基本になっている家族システムについてお話しましょう。

資格を取った時には、家族療法についての講義は、ボーエンやミューチュン、ミラノ派まででした。

私は日本カウンセリング学会、その他の学会にも所属して学ばせて頂きました。(現在は日本カウンセリング学会は退会しております)
日本カウンセリング学会のカウンセリング心理学ハンドブックにも書いてありますが、カウンセリングというものは、だれがやっても同じ結果が出るものでなければならないと定義されています。

つまりそれが科学的なものであるということです。

 

精神科での投薬治療と並行して行うカウンセリング、同じ結果にしようとするのは、洗脳、誘導であることに違いはありません。

ですから、カウンセリングというものは、洗脳ツールとして発展してきたのです。

心理学が哲学から分離して独立した専門分野となる為には、心理学をより自然科学的な客観性のある学問にする必要がありました。しかし、人間の理性による認識を徹底的に批判哲学で考察し、経験論と合理論との対立を調停したインマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)によれば、心は観察可能な対象ではないので、心理学は実験や観察に基づく自然科学として成立しないとされました。

そこから、編み出したのが今私のやっている家族療法です。お子様たちから聴いてきた声を基に、食から、社会毒、東洋医学からの考え方、哲学、EFT、TA(心理学の考え方も取り入れております。)などを取り入れたカウンセリングを行っております。

調べていくと、ナラティヴ・セラピーに近い考え方ですが、この療法とも違います。(これは後から知ったのですが)

ナラティヴ・セラピーとは

自分の人生の時間的・空間的な連続性を、自分の言葉で生産的に整理統合していき、自分の人生に固有の意味・価値を、主観的な物語の中で創造していくことが、ナラティブ・セラピーの基本的な作業です。

家族システム理論が発展するのは1950年代のことだそうです。

しかし、それ以前にも家族単位の治療に注目していた人がいたそうです。

ネイサン・アッカーマンという人です。

彼は1930年代にすでにニューヨークで精神分析の立場から家族の重要性に気づき家族メンバーを集めて取り組み始めています。

1950~1960年代になってシステム理論に基づく家族療法が盛んになるとアッカーマン研究所として知られる家族療法研究所を設立したのです。

若い研究者たちを援助して育て家族療法の普及に貢献しました。

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心理学の誕生は1879年のヴントによる心理実験室の創設を起源としています。

 

内観法は、自分で自分の意識内容(経験)を言葉にして報告するものですが、ヴントは、自分だけにしか感覚できないような主観的で哲学的な自己観察については否定していました。

ヴントの内観法は、生理学的な内観法であり、同じ刺激に対してはいつも同じ反応と報告ができるように、被験者が一定の訓練を必要とするようなものでした。

ヴントの心理学研究室には実験室が備えつけられ、自ら『実験心理学』を名乗るようになり、海外では従来の哲学的心理学と区別して『新心理学(new psychology)』とも呼ばれるようになりました。

実験心理学は、大型の金属製装置を使うので、ヴントの心理学をアメリカで継いだティチナーの時代頃から『鉄と真鍮の心理学』と言われる事もあります。

この思想は、パブロフやスキナーに受け継がれ実験が行われたのです。

あまりにも非科学的な実験だと思います。

こちらに詳しくその実験の様子を書いてあるのでもし興味ある方はお読みになってみてください。

きゃばりこ記。様のブログです。

http://blog.livedoor.jp/akisakuhana-cavalieco/archives/50753684.html

これがカウンセリングの起源なのです。

 

 

 

 

参考文献:

「心の病」はこうして作られた―精神医学「抑圧」の歴史

カウンセリング心理学ハンドブック (日本カウンセリング学会企画 日本カウンセリング学会「認定カウンセラー養成カリキュラム」)

カウンセリング心理学ハンドブック〈下巻〉

カウンセリング心理学ハンドブック[実践編] (日本カウンセリング学会企画 日本カウンセリング学会「認定カウンセラー養成カリキャラム」)

 

 

 

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「許す」ことは、自分が癒える方法ですか?

おはようございます。

自律サポートカウンセラーの甲斐です。

 

「許す」ことは、自分が癒える方法ですか?

「許し」こそが「癒し」の第一歩と考えている人は多いだろう。

しかし、あなたが自分に対して正直で良好な感情を持ち自滅的な人生を建設的なものに変えるためには、必ずしも許す必要はないのである。
こう書くと反発する人も多いだろう。

多くのカウンセラーは「許す」ことこそが「癒し」の第一歩だと考えている。
いや,それが唯一の方法だと考えている人も多いだろう。

私もそのように考えていたこともある。

しかし、それは自分を偽ることになってしまう。心の奥底に封じ込めてしまうことになるからである。

心から許せる気持ちになっているのなら、それは癒しに繋がるだろうが、癒されるために「許す」という行為を強いられてしまうと、それは逆効果になってしまう。

自分に言い聞かせることによって自分を騙していることに気がつく人はどれくらいいるだろう?

「許す」とは何を指すのであろうか?

ひとつは復讐する気持ちが起こらないこと。
もうひとつは、責任を取らなければない人間から「罪を免除する」ことである。

やり返すことによって心の平静を保とうとすることはネガティブである。
仕返しをすれば、一時的には落ち着くだろうが、ひどい仕打ちをしないということを努力することは健康への第一ステップではあると思う。

しかし、「罪の免罪」についての正当性についてはどうなのだろうか?

罪を負わなければならない人間から正当な議論もなく罪を免罪するというのはどうなのであろうか?
例えば、幼子を親が性的虐待する。
暴力を振るいその子どもの一生を台無しにしてしまう。
父親が母親を殴り子どもはそのために一生苦しむ事になるとしたら。

その罪を心の奥に閉じ込め「許す」ことが果たしていいことなのであろうか?

その区別がはっきりしないことが問題なのだ。

 

 
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