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日本の医学・医療の歴史 奈良時代

おはようございます。自律サポートカウンセラーの甲斐です。

さて日本の医学・医療の歴史を続いてみていきましょう。

大和・奈良時代

3世紀のはじめ、朝鮮半島には高句麗・新羅・百済などの古代国家が成立した。そのころ日本では大和朝廷が統一政権を把握して、朝鮮半島と交渉を開始した。こうして、隋や唐の医学が入ってくる以前より、朝鮮半島から新しい医学が入ってきていた。いわゆる韓医学である。韓医学は呪術的医療一辺倒だった。日本の医学に夜明けをもたらしたといわれている。7世紀ころまでは韓医学が日本の医療に強い影響をもたらしていた。朝鮮半島経由で、中国文化や技術も入ってきた。多くの医師が渡来して方術を教えてもらっている。呪術的医療イコール遅れた医療、先進国の医療イコール優れた医療という見方には先入観が詰まっていることが多い。

隋・唐の医学 

607年聖徳太子は遣隋使を派遣した。遣唐使の時代も含め、その後2世紀にわたる積極的・組織的な中国文化の移入が開始された。医療の分野では、先進技術や知識がもたらされると同時に、医療制度の面でも中国の影響を受けた。医療制度の面では律令制度のなかで、医療官人制度かつ教育制度が定められた。

奈良時代

律令制度の円熟期であり、大宝律令の後を受けて養老律令のもとで、医学制度が整った。その一方、これらの医療体制の外で僧医や看病僧が活躍した時代だった。
なんとなく、今の時代に似ている気がするのは私だけであろうか?

医疾令

律令国家の医療制度は官営性である。その対象は高級官僚のみであり、五位以上の位を国から授けられていた者だけが、国営医療機関の治療を受けることができた。

 律令制のなかで、実際に医療者養成機関として制定されたのが典薬寮(てんやくりょう、くすりのつかさ)です。大宝律令で定められた中央官僚機関のなかに現在の厚生労働省にあたるものは存在せず、典薬寮は宮内省に属する部署として設置されました。それは典薬寮では、医療関係者の育成および薬剤として用いる薬草園の管理が行われましたが、その医療行為は主として宮廷官人に対するものだったからです。当初は典薬寮とともに天皇への医療をおこなう内薬司が別組織として設定されましたが、896年には典薬寮と内薬司は併合され、朝廷における医療を全て管掌する機関となりました。

 典薬寮の長官として典薬頭(てんやくのかみ)が統率し、実際の医療は医師(10人)、針師(5人)、按摩師(2人)、呪禁師(2人)で実践しました。さらに医博士、針博士、按摩博士、呪禁博士が任命されました。博士とは、現在の学位としての博士とは異なり、学生を指導する教授としての官位でした。これらの教員から医術を学ぶ医生(40人)、針生(20人)などの学生がいました。また薬園の管理をする薬園師(20人)と、その手段を学ぶ薬園生(6人)、さらに実際に薬園の手入れをする薬戸などがいたそうです。

 これらは国の中央組織ですが、地方でもこれに準じて医療者組織が形成されていく制度になっていたようですが、十分に浸透していったのか否かは定かではありません。また中央政府の典薬寮も平安時代以降は朝廷内にだけその形を残すのみとなっていましたが、1869年、明治維新に伴う制度改革によって廃止されました。しかし7世紀の律令制により形成された機関が、1000年後の明治維新まで存続したという大変まれな存在でした。

 典薬寮の役職として呪術師が設定されていたように古代の医療はやはり呪術的な色彩が強かったようで、典薬寮の最高責任者である典薬頭として732年には修験道の開祖とされる役小角(えん おづの)の弟子であった韓国広足(からくにのひろたり)が就任しています。その後、典薬頭は和気清麻呂を開祖とする和気氏、そして現存する日本最古の医学書「医心方」を編纂した丹波康頼に始まる渡来系の氏族である丹波氏らが世襲することになっていきました。

鑑真来日

鑑真は688年、唐の長江河口近くの揚州の人で、14歳で出家し長安・洛陽で仏教を学び、唐国内で戒律を教え広めて名声を得ていました。そのころ仏教の普及のため本格的な伝戒師を求めていた日本から僧栄叡(ようえい)・普照らが唐に渡り鑑真に誰か日本で戒律を広める人物を紹介してくれるよう懇願したところ、742年、鑑真自身が決意し渡日することになりました。しかし難破などで5回も渡海に失敗し、そのうちに自らは眼病を患い失明してしまいます。

 鑑真は戒律だけでなく医術についても詳しい知識を持っていました。来日にあたって多くの珍しい薬物を持参し医術の普及にも大きな貢献をしたのです。正倉院薬物の中に遠くアラブ産のものも含めて多くの外国産の薬物がありますが、その中に、鑑真が来日するときに持参したであろうと考えられているものがあるそうです。何度も渡海に失敗して盲目となった鑑真は、匂いだけで薬物を鑑定することができたといわれていますが、それは実物を知らなかった日本の医療者にとって大変重要な情報でした。

 聖武天皇の母、藤原宮子の病が悪化したとき鑑真が呼ばれて治療し、その時に使用された医薬が奏功したことによって鑑真は僧としての高い位が授けられたのです。また聖武太上天皇が重体に陥った時、看病僧126名が朝廷に召集されましたが、この中にもちろん鑑真も含まれています。

 

 

 

 

 

 

 

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